東京紙器株式会社 /

【学ぶ印刷】日本の印刷史を学んでみる③ 江戸時代

【学ぶ印刷】③

学ぶ印刷


こんにちは、東京紙器です。

皆さん大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」観てますか?最近は以前の大河ドラマとは違って戦国武将や幕末志士らの活躍を描いた血生臭い作品が減った印象があります。転機になったのは「篤姫」(あつひめ)だったのかなぁと思いますが、250年におよぶ太平の世、様々な題材がありますよね。学ぶ印刷第3回は、日本の印刷史でも特筆すべき発展の時代であった江戸時代の印刷史を学んでいきましょう。

平和な時代となり日本国内の流通や経済が活発化することで、今まで下層階級として扱われてきた民間の力が強くなっていきます。第1回、第2回でも紹介したように、印刷には黎明期より政治的思惑が強く働いてきました。しかし太平の世で財力を身につけた社会では違う需要が増えていくこととなりました。すなわち江戸時代には娯楽としての印刷、教育資材としての印刷が大発展することとなります。

それでは、江戸時代における印刷を見ていきましょう。

上方から始まった産業としての印刷

京都で始まった産業としての印刷

江戸土産之内 絵さうし見世

画像:落合芳幾(1862年)江戸土産之内 絵さうし見世/出典元:東京都立図書館(詳細ページ

江戸時代以前、日本の中心は長らく京都でした。
様々な文化が京都から地方に広がっていきましたが、印刷についても同様に京都から大坂、江戸へと発展していくこととなります。

人口も多く安定した京都では、印刷の需要も高まっており、一時期流行った活字印刷から製版印刷へと回帰していきました。これは読者層が拡大し、出版物の再版需要に応えるためで、活字印刷であると漢字、ひらがな、カタカナのある日本語では活字が多く、組み直しも煩雑であったためと言われます。

京都では公家、豪商、町人を文化的に結び付ける役割を本屋が担い、ある程度の教養の持ち主が版元として活躍することになりました。産業として印刷・出版が発展していく中で、今までの寺院中心の印刷が版元へと軸を移していきます。

商業の街大坂で流行した娯楽印刷

海上交通が河村瑞賢らによって整備されると、物資の大量輸送が可能となり経済は発展しました。大坂は京都に近く、海上交通の便も良いこともあって中央市場として商業の中心として栄えることとなります。そうして生活に余裕が生まれてきた町人らは娯楽、文芸、自己啓発に目を向けることになり、元禄文化が花開き、その流れに乗って大坂での出版は興隆していきます。

日本永代蔵

画像:『日本永代蔵』井原西鶴   画像提供:Asturio Cantabrio, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons:詳細ページ

井原西鶴を草分けとする浮世草子が流行、娯楽としての印刷物が一挙に増加します。「好色一代男」を代表とする好色物、「武道伝来記」などの武家物、「日本永代蔵」といった町人物といったジャンルがあり、それぞれ大評判となりました。浮世草子は洒落本などに発展をし、上方から江戸へ発展の場を移していくことになりました。しかしこれらの出版物は、厳格な身分社会制度やそれらの娯楽を堕落とみなす幕府により、度々取締令が出され禁止される羽目となります。

江戸の発展と出版都市としての萌芽

江戸は徳川家康によって大きく整備された当時としては比較的新しい街で、京都や大坂にくらべると経済力も低く、どちらかというと軍事的性格の強い街でした。明暦の大火(1657年)により初期の江戸の街が焼け、新しい都市計画として江戸が大規模化することで後の100万都市の土台が築かれていきます。

江戸の出版は、当初は京都などの版元の支店が中心となっていましたが、経済発展により徐々に江戸生え抜きの版元も登場していきます。1700年代半ばごろからは、上方からくる文化ではなく、江戸独自の文化が根付き始めたいわゆる「文運東漸」が起こります。

箱入娘面屋人魚

画像:『箱入娘面屋人魚』(部分)蔦屋重三郎肖像/出典:国立国会図書館デジタルコレクション(詳細ページ

新興都市であったがゆえに伝統に縛られない自由な気風をもつ江戸文芸が発展していくのです。「べらぼう」の蔦屋重三郎が活躍したのもそんな時代でした。書物だけではなく、絵画である浮世絵版画も技術発展し、町人が錦絵などをこぞって買い集めることになります。

浮世絵は版元・絵師・彫師・摺師といった分業制で成り立っており、分業によってそれぞれが高度な技術を組み合わせることで、高い品質の浮世絵を量産することができました。これらは江戸土産となるほど大量に且つ安価に世に供給されることとなりました。産業としての印刷・出版の興隆は、のちの印刷都市・東京へ通ずるものでした。

江戸時代には度々出版の取締りが行われましたが、これは印刷の影響力が無視できなくなるほど大きくなったことも意味します。印刷物はその情報伝達力を活かし、社会を変える大きな原動力ともなっていきました。

教育の広がりと印刷


江戸時代末期における日本人の識字率の高さは世界でもトップクラスで、当時来日した外国人を驚かせたという話は耳にしたことがあると思います。幅広い層に教育が行きわたっていたのは、寺子屋など様々な教育施設の充実とともに、教材としての印刷物が大量に印刷・活用された影響が大きかったといえます。

文学ばんだいの宝

画像:一寸子花里「文学ばんだいの宝」/出典:東京都立図書館(詳細ページ

寺子屋では「読み・書き・ソロバン」が重視されましたが、「書き」が最も重視されており、お手本としての教材「往来物」が幅広く利用されました。幕末には数千種類におよぶ「往来物」があったと推測されており、印刷が教育発展に大きな役割を果たしました。

教材以外にも、学術書としても多様な出版物が刊行されました。儒学、蘭学、国学、農学、植物学、和算、医術など枚挙に暇がありません。図や絵を多く取り入れられるようになったため、こういった学術書が誰にでも分かりやすくなったことも知識が広がった理由の1つです。庶民の識字率の高さ、教養レベルはその後明治維新での近代化にも活かされることとなりますが、その背景には印刷技術の発展、出版産業の興隆があったといえるでしょう。

旅行ブームとガイドブックの誕生


さて、五街道が整備され各地に宿場ができたことで、庶民の経済力と共にその行動力も大いに広がりました。その結果、旅のブームが日本史上初めて起こることとなり、旅に関する印刷・出版物も数多く刊行されました。

まず各地の名所や史跡などを紹介したいわゆるガイドブック「名所記」が出版されるようになりました。名所記とは名所の挿絵、故事や歴史を紹介したもので、京都で生まれ、東海道や江戸、大坂、ついには日本全国を網羅した「日本鹿子」が出版されるに至りました。

名所江戸百景

画像:名所江戸百景・浅草金龍山 出典:ColBase(詳細ページ

伊勢への参拝「おかげ参り」に代表される巡礼ブームがあったことは広く知られていますが、温泉地への旅も江戸時代に大衆化しました。有馬、草津、伊香保、熱海、箱根など現代に通じる観光地はこのころから多くの人が訪れました。なかでも熱海は将軍家御用達であったことから、広く人気を集め、「熱海温泉図彙」(あたみおんせんずい)などの出版物も刊行されました。

弊社記事「蔦屋重三郎の素顔とは」で紹介されている、蔦重の「吉原細見」もガイドブックの1つですね。

名所記以外にも旅に役立つ情報を載せたものも数多くあり、高い人気を得たのが「旅行用心集」でした。旅好きな著者が経験と人から聞いた話を集めた旅の心得が61か条にまとめられたものです。今も昔もこのような旅行本は、旅情をかきたててきました。

江戸時代の旅行事情を知るという意味でもこういった書物を読んでみても面白そうですね。

まとめ


江戸時代は大衆文化の発展と出版が密接に結びつき、多種多様な出版物が刊行されました。大きな力を持つにいたった出版文化は、それまでその力を利用してきた政治に警戒感を抱かせ、度重なる取締を受けることとなりました。しかし、そのような迫害にも負けず、強い民衆の需要を背景にして、印刷技術、出版文化は発展し続け、いよいよ明治維新を迎えることとなります。日本の印刷は西洋のより進んだ機械的印刷技術に触れ、新たな発展をとげていくことになります。

世界が驚くスピードでその技術を吸収していくことができた土台は、江戸250年の長い歴史の中で育まれたものであったといえるでしょう。

「学ぶ印刷」第4回は明治維新後の近代出版印刷文化について見ていきます。

それでは次回もお楽しみに。

Ideaを形に。

参考文献


印刷博物館編『日本印刷文化史』講談社 2020年

ウェブサイト Wikipedia『印刷』ページ

関連記事


この記事をシェアする

東京紙器の最新記事をメルマガでお知らせ!

この記事は役に立ちましたか?

参考になりましたら、ボタンを押して教えてください。

お問い合わせ

求人応募

・機械オペレーター
・生産管理
・外勤営業
・インサイドセールス